「好きだよ、愛してる。一番Aが大事」
元カレはよくそう言っていました。
とても嫉妬深く、少し他の男性としゃべったり連絡を取るだけで、烈火のごとく怒る元カレ。
そして、付き合いが長くなるにつれその怒りは増してきて、平気で私を殴るようになりました。
DV彼氏と依存女の泥沼
その頃、私も彼が大好きで、嫉妬されたり、殴られたりすることが愛情だと思ってました。
「他の人よりも愛されている」
そう思っていたので、周りに心配される気持ちよさと、元カレの激しい愛情を心地よくさえ感じていました。
そのうちはげしいケンカも多くなり、ものでも殴るようになってきました。
私も、やり返してはいました。
激しさを増すケンカに、周りは引いていき、別れてはくっついてを繰り返す私たちの話をまともに聞いてくれる友達は減っていきました。
その状況が、元カレからさらに離れられないところまで自分を追い込んでいきました。
自殺未遂と別離
彼との付き合いは、2年半ほど続きました。
ケンカをして、痛い思いをして、すがって、そしてそんなやり取りにお互い疲れていました。
彼と決定的に別れるきっかけになったのが、私の自殺未遂です。
彼には、新しい女の影がありました。
「あ、私、フラれるんだ」
今まで何度もケンカして、何度も殴られて、その度に「好きだよごめんね」と言われてきたけど、彼にその熱量がなくなっていくのをじわじわと感じました。
スマホを気にして、ゆっくり離脱しようとしていく彼に、私はしがみつこうとしましたが、そうすればするほどに彼は逃げてゆきました。
私は、依存しきっていた彼と別れるのが辛すぎて、彼の地元の彼の家の前で、薬を一気に飲みました。
もう、
「どうにでもなれ、私のせいで苦しめ。私を忘れられなくしてやる」
そんな思いが頭を支配していました。
生還&めざめ
私は、目覚めてしまいました。
死ぬほど気もちの悪い思いをしながら、意識がもうろうとする中、
「ああ、死ねなかった。ダメ、死ななきゃ…あいつ、心配したかな?」
そんなことが頭に浮かびました。
枕元では両親が泣いていました。
私は、死ねませんでした。
胃を洗浄し、少し病院にいて、精神科を受診し、両親に毎日泣かれました。
彼からの連絡は、ありませんでした。
不思議と怒りはありませんでした。
「死ねなかった」
と思いましたが、いろんなことに疲れていました。
私の自殺未遂で、両親も肩身が狭くなったのか、母の実家のある県に引っ越し、1年ほど自然の中で特に何をするでもなく過ごしました。
連絡をくれる友人も少しいました。
生きていてもいいんだと思える日が少しづつ増え、一年後にはパートですが、働きにでることもできました。
DV元カレとの恋から生還できた理由と今
去年、私は結婚しました。
ごく、激しい愛情も暴力もない、普通の相手と。
昔はそういう相手はすぐにつまらなく感じていました。 張り合いがない、と。
でも、一連の失恋を経て、
●感情をそのままぶつけるのは愛ではない
●思い通りにしようとするのは自分を好きなだけで相手を好きだからではない
●暴力をふるって言うことを利かす男といたら死んでしまうかもしれない
●依存することは自分を見失うこと
だと気づきました。 気づくまでに、時間がかなりかかりました。 それでも、気づけて良かった…
彼氏の暴力を受け入れないで
暴力は愛ではなく支配。
愛は言葉だけではない。
激しさは、エゴ。
共依存は病気。
あの頃からだいぶ離れて、少しづつそう思えるようになってきました。
今は凪のように刺激も、熱い情熱もないですが、淡々とした毎日に幸せを感じます。
周りにとても迷惑をかけて、回り道をしたけど、今は、生きていてよかったです。
あなたがもし、彼の支配で悩んでいるなら、追い詰められないで。
元カレの暴力を愛情だと思っていたら、それは勘違いです。
やさしい人、ちゃんといます。
つらい経験と別れは、それに気づくための大事な出来事でした。
落ち込んだら、自分にやさしくして、回復したら立てばいい。
あなたも無理をせず、回復してきたら、ゆっくり自分の幸せについて考えてみてください。
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